資料館利用ガイド 常設展示室 みやま市の文化財 郷土の人物 リンク集
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荘園と中世起源の寺社

  矢部川筋に湿潤な耕地が広がる南筑後平野は、平安時代後期以来鷹尾神社の別符として、また、本吉清水寺の寺領として開墾され、宇佐八幡宮・太宰府天満宮等の荘園に組込まれ、さらには、中央の権門勢家の荘園として編成されていった。その在地支配の拠点として多くの寺社が置かれていった。
上庄八坂神社・廣田八幡宮・二尊寺・西念寺等々十指に余る寺社の名が挙げられよう。

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荘園と土豪(城砦)

 土豪勢力(城)の分布 現在の瀬高町は、有明海から隔たって内陸部にあるが、大昔から縄文時代にかけては、有明の海は現在の平野部に食い込んでいた。その名残りを留めるものとして、海津・津留・中島・長嶋などの地名がある。また、干拓の跡を示す「何々開」の地名が各所にみられる。
 
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中世都市としての瀬高

 矢部川の豊富な水量によって生産力の高い湿潤な耕地をもち、有明海から内陸への水運の導線として矢部川を活用できた瀬高の地は、南筑後平野の要衝として平安時代以来の遺跡・遺品を残している。特に、中世住居遺跡から出土した「青磁・白磁」に象徴される外来文物は、遠く中国・朝鮮との交易にも連なっていたことを物語る。有明海沿岸部が戦国期南蛮交易船の交易場であったことを考えれば、矢部川河口から遡上した河畔は内外物資の集荷場として、また、市を構成する町場として衆目の集まるところであったろう。現在残る「芳司の恵比須碑」は当時の姿を偲ぶ貴重な遺品である。この矢部川を基点として四方に延びる道路も、矢部川が蛇行する要地を得た上に展開された。

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